『デカルト―「われ思う」のは誰か』を読む

今日もデカルトの勉強をしましたー

われ思うのは誰かという本です。

デカルトの
私は考える ゆえに 私が存在する
という有名な一文について

コチラの本によると
デカルト『省察』での表現は
そのような推論の形をとっていないといいます

「わたしは考える」の部分が
「私は何者かであると私が思考しうるであろう限りで」という限定の文章として
「私はある、私は存在する」を修飾、限定しているとのこと

省察にしたがうと
わたしはかんがえる ゆえに私は存在する
ではなく
先の限定をともなったかぎりでの
私はある  私は存在する 
というのが、デカルトが言いたかった一文なのだとか

 こちらの本で
省察 こそデカルトの思考のもっとも厳密な表現であって
方法序説や哲学原理はその一般向け普及バージョンなのだから、省察の表現に最新の注意を・・・
」と書いてありました。

デカルトを知るには、やっぱり省察は素通りできないみたいですね。

私は数冊の本を読んで、デカルトの展開した神の存在証明に興味を持ったのですが、
『デカルト―「われ思う」のは誰か』では、88ページあたりから神の存在証明について書かれていました。
おもしろいです。
神の存在証明

はやく省察ゲットしたいですねー

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