古代オリエント考古学?のレポート②ヘレニズムとユダヤ セレウコス朝について

レポート記録

前回に続き、大学時代に書いた古代オリエントのレポートをあげたいとおもいます。

あまりおもいだせないけど、ヘレニズム時代のユダヤ人に関して書いたような気がします。

セレウコス朝シリアって言ったら、首都はアンティオキアで軍事拠点はアパメアでした。アパメアは現在シリアにありますが、以前訪れたことがありました。

アパメア訪れたときの記事(ヤプログ)→シリア旅 アパメア

なつかしいな。あすこの駐車場にあったレストランはまだあるのかな?

羊と一緒にかくれんぼしていた少年は戦争がおこってからどうしたかな いろいろきになってきます。

 

話はずれましたが、以下がレポートのつづきです。


2、セレウコス朝

アンティオキアを首都に、シリアを中心に領土をもったセレウコス朝の領土内では、ギリシア語だけでなくさまざまな言語が話され、宗教もゾロアスター教・ユダヤ教・バール信仰など宗教も異なっていた。

セレウコス朝はペルシア帝国の王政を模倣した政治体制をくんでいたが、それだけでなく、各地に都市を新設した点に特徴がある。経済的交流を盛んにするため、都市をつくり、ギリシア人を入植させ、東方のヘレニズム化をすすめた。都市に入植したマケドニア人たちは都市貴族として世襲化し、元老院を構成し、土着民と融合したことにより文化の融合が促進された。

 

セレウコス朝はシルクロードの幹線道路に接続し、インド洋の季節風を利用する海上交易路とも通じていた。さらには、シリア南部はアラビア砂漠を経てやってくる宝石や香料の交易路もある。こういった交易を通じてヘレニズムはユーラシア大陸に広くひろがっていったが、それらルートはプトレマイオス朝との戦争の原因ともなった。

アンティオコス3世の時代になると、東方の諸王らと有利な協定を結び、アレクサンドロス大王の築いた帝国の再建を目指したが、それによってローマの介入をうけることなり

小アジアの領土を失うことになった。

アンティオコス4世の時代になると、セレウコス朝はローマの監視下におかれたが、王はシリアの神バールシャミンと自らを融合し王権の神格化をもくろんだが、それはユダヤ教と衝突することになり、パレスティナ全土を巻き込む戦争に発展した。それによってセレウコス朝の滅亡が早まる。セレウコス朝の衰退とともに、独立したヘレニズム文化の濃い影響を持つ国家も現れてくる。

 

建国当初からローマよりの政策をとっていたペルガモン王国は、セレウコス朝の衰退の一因となり、ローマの東方進出に大きく貢献した。ローマ人との同盟によって勢力を拡大したペルガモン王国は地中海貿易の中継地として発展したが、のちにローマと融合することになった。

アレクサンドロスの死後、地中海沿岸以東の旧ペルシア帝国領はセレウコス朝の支配下に置かれていたが、前256年バクトリア、パルティアが独立した。

パルティアのアルサケス朝は、イラン文化よりヘレニズム文化の色が濃い王朝であった。、


またまた続きはのちほど

≪参考文献≫

小川英雄、山本由美子『世界の歴史4 – オリエント世界の発展 (中公文庫)

市川裕『ユダヤ教の歴史 (宗教の世界史)

P.プティ、A.ラロンド『ヘレニズム文明 地中海都市の歴史と文化』北野徹訳

 

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