『シリア アサド政権の40年史』その2 シリア内乱のはじまり について

シリアの内乱について、
アルジャジーラや欧米のメディアの報道を書き写しただけみたいな
日本の新聞の情報が
お茶の間に 事実真実のように伝わっちゃってますが、

こちらの本は、この内乱が終わって、情報操作の内部構造が明らかになってから、
真に評価される本だと思います。
新聞の国際欄書いてる人は、外国の新聞を翻訳するだけでなく、
こういう本を読んでほしいです。

私からの文句は以上。

image

※(写真上)ダマスカスの空港で隠し撮りした看板(アサド大統領)

この本の概要の続き。

シリアの内乱は2011年3月中旬に始まった
民衆蜂起にはじまります。

政府がYOUTUBE フェイスブックを解禁したことにより、
各地で反政府の動きが活発になりました。

もともと、民衆蜂起に発展した事件の発端は、

ヨルダン国境近くのダラア市という場所で、
13人の中学生たちが軽い気持ちで反政府の落書きをしたことで
治安当局が彼らを逮捕したことが契機となりました。

中学生たちは釈放される様子がなく、
彼らの家族に同情した市民たちが モスクでの礼拝を終えた後にあつまり、
それが数千人規模になりました。

彼らは「アッラーシリア 自由 それだけでじゅうぶんだ!」と叫びながら
子どもたちの釈放と、
県知事、治安機関責任者の解任を要求しました。

大規模デモにうろたえた治安部隊は発砲し、
このデモで数人が死亡。

国営TVは
市民にまぎれた一部の者たちが混乱を起こし、公共建物と市民の財産を破壊しようとしたので市民を守るために介入し、彼らを解散させた」と報道しましたが
ダラア市の不穏な状況は続きます。

死者の葬儀でも混乱が生じ、
そこでも治安当局の発砲により新たな死者がでるという
負の連鎖で、、、

事態を懸念したアサド大統領は
ただちに葬儀に外務副大臣や地方問題の責任者の大臣を参列させ
政府の哀悼を訴えたそうです。

すぐに子どもたちは釈放され
発砲した当人を処罰
県知事と治安当局責任者を解任しましたが、事態は収まるどころか拡大していきました。

と。。長くなりそうなので、後で書きます=

ところで・・・イエメン、こわいですね・・・
image

アメリカとイギリス、どんな情報をキャッチしているんでしょう?

コメント