史学概論のレポートその1 ランケとか発見理論とかのやつ?

2017年9月6日

史学概論のレポートは書きかけのやつと、書き終わったポイやつ二種類ありました。史学概論のレポートは書きかけのやつと、書き終わったポイやつ二種類ありました。レポートのタイトルは正直忘れました。中身読めば思い出すとおもうけど、めんどくさいのであげるだけにしておきます多分発見理論関係かな。両方とも参考文献はかわりません。2つの大学で史学概論講義それぞれとったけど、いまだにEHカー読むのは必須ですね。特に史学科在学生は1度はよまないともぐりってレベルになります

参考文献は以下の2冊です。

1 E・H・カー『歴史とは何か (岩波新書)

2 A・Я・グレーヴィチ『歴史学の革新―「アナール」学派との対話』

史学概論レポートまずは書きかけのがこちらです。


発見主義19世紀史学の基本的な考え方は、過去の事実が間違いなく存在し、歴史家はそれをみつけてあったとおり書くことにより歴史学は完成するという考えだった。資料崇拝に依った発見理論は、史料が忠実に事実を伝えていることと、歴史家が率直に資料を読むことがひつようであったが、当時の歴史家はそれらが満たされていると思っていた。しかし、過去の事実は今は存在しないため、事実があったということを知ることができない。 過去の出来事を伝える証拠として、一番有力なものが史料であるが、事実を知るというよりむしろ、史料を手掛かりに『歴史家は自分の考えによって自分の事実を作る』のである。歴史というものは、史料をそのまま受け入れ、過去を復元するのではなく、歴史家が今いる地点から過去像を推測していくことであると考えたのは構成理論である。発見理論の考えでは、いったん発見された事実は変わることがないが、構成理論で考えると、時点が変われば歴史像全体が変わる。
書き終わったのがこちらでした。


史学概論で提出したレポート(完成形)発見理論とかの内容?

1、 発見理論の批判19世紀以前の、ランケに代表される歴史家たちは、史料を発見さえすれば事実を知ることができる、主観を抑えた意見と史料によって歴史は完成されると考えていた。事実尊重の時代は、史料のないものは史実ではないという考えにいたり、史料崇拝へと向かっていった発見理論だが、この考えはいくつかの点で批判を受けていった。 ランケは「己を消し去って史実に語らせたい」といったが、歴史家が素直に史料を読むというのは可能であろうか、客観性に関する問題が出てくる。所属する国家、時代。階級や教育により、人間は意識的にせよ無意識にせよ、何かしらの偏りがあり、ランケ自身、プロイセンの王制主義者で保守主義の立場から古い王制を支持していたことから、言葉に矛盾を生み出している。、  さらに、史料が「忠実」に事実を伝えているかという点も問題がある。事実は「行為」であり、痕跡が残らないものである。そのため史料が一番有力な手がかりとなるが、その行為自体、つぶさに伝えるというよりは、消息を伝えるというものがほとんどであり、歴史家は消息をたよりに行為のありさまをイメージして作り上げる必要があり、事実があって記述ができるのではなく、記述があって事実ができるのだという認識が正しい。当時、史料を書いた人物も、いずれかの思想の上に所属しており、歴史的事実を忠実に記述したという考えも間違っている。

ひとまず途中までアップ。つつきはその2にあげますね

 

参考にした文献は以下の通りです。

発見理論という単語はてきすとにあわせています。カーの本とかには一言もでてきません。ちがうことばがつかわれてます。

 

参考にならないけど、参考にした方はリンクかアフィリエイトにご協力お願いします(笑)
ちなみに、誤字脱字おおいです。参考文献の出版とか発行年とかもぬけてます

完コピペして単位落としても私は責任とれませんので、コピペはやめてね(笑)

 

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