大学時代のレポートシリーズ。次は日本史特殊 伴天連追放令とその影響です。
日本史の知識は中卒レベルです。国内旅行先で、歴史上の偉人が建てたお城とか、偉い人の像とかほぼわかりません。中卒レベルの知識ですが、日本史特殊のレポートを書きました。伴天連追放令についてです。このレポートは事前に調べる内容が決められていたレポートでした。伴天連追放令って言葉すらこのレポート書くまでしりませんでし
利用した参考文献は2冊。
五野井隆史『日本キリスト教史』吉川弘文館
塩野 和夫『日本キリスト教史を読む』新教出版社
たよ・・・中学レベルの日本史知識で書いた日本史のレポートは以下の通りです(笑)
<序>
16世紀のヨーロッパ世界では、宗教改革による西欧キリスト教分裂の危機を迎えた。カトリック教会は反宗教改革の一環として、イエスズ会を世界中に派遣し、大航海時代をへて「ヨーロッパにより発見された」新しい世界へキリスト教の布教を進めていく。 日本においては、フランシスコ・ザビエルによるキリスト布教からはじまったが、ちょうど近代封建初期にあたる時代であった。戦国時代の混乱に乗じる形で、天下統一を果たした信長の庇護のもと九州を中心に広がりを見せていった。 日本におけるキリスト教布教の過程で、一つの分岐点となるものが信長から秀吉に移った時代、近世封建制度確立期における豊臣秀吉による伴天連追放である。本レポートでは、伴天連追放令とその影響について述べていく。
1伴天連追放令前の封建領主とキリスト教布教
近世封建制初期、キリスト教の政策判断を決定したのは封建領主であったため、各地の領主の対キリスト教政策が、この時期のキリスト教の重要な要素となっていた。そのため、この時代のイエスズ会は封建領主に布教許可を得たうえで布教活動を進めようとしていた。そして、九州などでは、ポルトガルとの貿易を布教活動に絡めていたところが特徴的である。領主がキリスト教徒に改宗した場合はキリスト教布教がおおいに広げられ、領主によっては他教を排除する動きも見られた。 領主がキリスト教徒であろうとなかろうとキリスト教徒のかかわりは、ポルトガルとの貿易、武器の獲得に有利に働くことから、信長時代、封建領主のキリスト教布教に対する態度は寛容なものであったが、しかしながら仏教勢力を中心とした反キリスト教運動もおおきなものであった。
続きは次回
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ちなみに、誤字脱字おおいです。参考文献の出版とか発行年とかもぬけてます
完コピペして単位落としても私は責任とれませんので、コピペはやめてね(笑)
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