毎日本を持ち歩いています、今日は本棚にある本を適当にとって、それを読みました。
今日読んだ本がこちらです
ニーチェ著『ツァラトゥストラはこう言った(上)』
私はニーチェについて詳しく勉強したことがないので、この話は実は○○批判だとか
ここにでてくる○○は実は○を表してるとかまったくわかりません。
そのため完全に素人読みになりますが、気になった章があるのでそこを挙げてみたいと思います。
その前に、上巻の構成をざっくりと。
ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)¥ 864岩波文庫
第1部(ツァラトゥストラの序説―超人と「おしまいの人間」たち
ツァラトゥストラの教説(三段の変化
徳の講壇
世界の背後を説く者
身体の軽蔑者
喜びの情熱と苦しみの情熱 ほか))
第2部(鏡を持った幼な子
至福の島々で
同情者たち
聖職者たち
有徳者たち ほか)
私はこういうたぐいの本を読むときには、たいてい岩波文庫を選びます。
たしか、ほかの出版社も出していると思いますよ。古いタイトルだと
ツァラトゥストラかく語りき とかツァラトゥストラはかく語りきとかじゃないかなぁ
読んだこともあるし、この本のことを以前書いたこともあるので、あえてストーリーをかくのはやめておきます。
『ツァラトゥストラはこう言った』にでてくる「身体の軽蔑者」って何が言いたいんだろう。
私は今日読んでみて気になったのは、岩波文庫p51から始まる
「身体の軽蔑者」の章です。
ツァラトゥストラは「身体を軽蔑するものに、私は私の言葉を言いたい
という文章からはじまり、「カラダを軽蔑するもの」に対する批判を数ページにわたって述べていました
魂とは、たんに身体における何者かをあらわす言葉にすぎない
身体はひとつの大きな理性だ
あなたが精神と呼んでいるあなたの小さな理性も、あなたの道具などだ
と魂ばかりを尊重し、身体を軽蔑する人たちに向かって批判を述べてました。
そして、
尊敬と軽蔑、価値、意志を想像したものはなにか、創造する身体がその意思の道具として精神を創造したのである
あなたがた身体の軽蔑者よ!あなたは超人への橋ではない
と締めくくってます
私は以前、アウグスティヌスの『告白』を何回も繰り返し読んでいたので、
こういうのを読むとどうしてもアウグスティヌスと比べてみちゃうのですが、
アウグスティヌスの考えでは、
魂>>>>>>身体
という感じでした。
なので、ニーチェのこの考えと比べて考えてみると
なかなか面白いです。
アウグスティヌスは、キリスト者として
身体はただの器。肝心なのは精神 的な考えでしたが、
ニーチェさんは
精神<身体という感じです。
精神とか身体とか理性とか出てくると、なんとなく出てきた人がいました。
カントです。そういえばニーチェはカント批判書いてたとか本で読んだことがありました。
よくわかんないからまちがっているかもだけど、
「身体の軽蔑者」はカントの考えに対するニーチェの意見なのかな?
そう感じました。
ニーチェ、面白いですね。読めば読むほどなんか味わいがでてきます。
なんというか。。。おしゃぶりこんぶみたいな本です(笑)
コメント