前回はアウグスティヌスの時間論をupしました。
今回はニュートンとライプニッツ論争をの方をあげてみたいとおもいます。
≪参考文献≫
アウグスティヌス『告白(下)』 服部英次郎訳
村上 陽一郎『時間の科学』
和田 純夫 『プリンキピアを読む』
中山 康雄『時間論の構築』
このレポートは、アウグスティヌスの方は調べて書いた記憶があるのですが、
ニュートンとかは全然覚えてないwwwwでもレポートがあるってことは
きっといつか読んでいたんでしょうね(笑)
では本文は以下の通りですww
科学における時間論「絶対時間と関係的時間」(ニュートンとライプニッツ論争)
自然科学における時間の考察は17世紀が出発点となる。時間、空間についてニュートンとライプニッツは論争を繰り広げた。
両者は、時間はそれ自体が独立した本性をもつのか、それとも時間は独立したものではなく物理的な対象の持つ時間的な性質なのか、という根幹の元、意見を分けた。
まず、ニュートンは『プリンキピア』において、絶対時間という概念を、絶対空間と並べて提出した。
物体がなにも存在しない空虚な空間が存在するか否かは、古代ギリシア以来、論争の対象になっていた。アリストテレスは真空の存在を否定したが、一方、原子論者たちは空虚な空間の中には様々な無数の原子が存在するという自然観を持っていた。17世紀のデカルトは、空間には目に見えないものが充満していると空虚な空間を否定し、何か存在するものが広がっている状態が空間であるという考えであった。それに対し、原子論者であるニュートンはまず、純粋な時間を取り出してきて、空間とともにそれが実在するとした。
神の存在が純粋な時間・空間という形で現れる、神全体となっていると主張した。ニュートンは、空間を三次元の器とみなし、アウグスティヌスと違い、天地創造の際、神がその中に物質宇宙を入れたと考えた。
時間や空間を「絶対空間・絶対時間」「相対空間・相対時間」とに区別し、何もない空間の各場所が絶対的に静止しているか否かを区別することが可能だと主張した。基準が動いているか否かは物体とは無関係に決められ、絶対的に静止して見える物体はどのような力が働いているのか判断できるとの主張は、互いに等速直線運動している2つの基準があったとき、どちらが本当に静止しているか力では判断ができない。絶対空間というものが定義可能か否かは大きな問題点となった。絶対空間を持ち出しながら、運動とは相対的なものだとニュートンは主張をしたりと問題が多いが、長い間絶対時間・絶対空間の存在は信じられていた。
ニュートンとは別に、時間はもともと実在していない、時間を出来事や事物の間の時間的な関係だという関係論的見解をのべたのがライプニッツであった。彼は「 神は世界を時刻t1に、あるいは時刻t2に作ったかもしれない。だが、すべての時間が同じなら、神はどのような理由で時刻t1、あるいは時刻t2を選んだのだろうか。」と考え、時間はその内容とは独立していないと考えた。時間というものはもともとあるものではなく、いくつもの出来事があり、そこに順序関係ができるとその間に人は時間を後付しようとすると主張した。
ニュートンは、絶対空間の議論を 回転バケツの推論で絶対空間の存在を証明し、そのニュートンの絶対時間という考えは自然科学の中での基本的な柱になった。
18世紀以降、科学の確立が進んでいく中で、神の話は棚上げされていき、絶対時間の概念だけが残っていった。ニュートン力学では位置と時間とで表現する習慣が生まれるが、時間の流れに絡む決定論の問題が残されていた。
以降はのちほど。。。。
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ちなみに、誤字脱字おおいです。参考文献の出版とか発行年とかもぬけてます
完コピペして単位落としても私は責任とれませんので、コピペはやめてね(笑)
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