文学部出身OL Akiの「社会人になってから読んだ本の記録」

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キリスト教史 倫理学

倫理学レポート 課題タイトル「へブル人、キリスト者の倫理について」②《新約のキリスト》

投稿日:2017年9月14日 更新日:

倫理学レポートのその2を挙げてみたいと思います。

レポートの課題タイトルは「へブル人、キリスト者の倫理について」でした。


《新約のキリスト》

アレクサンダー大王による遠征以降、セレウコス朝、プトレマイオス朝下に置かれたイスラエル人たちは、ヘレニズムの影響を受けて考えが分裂する.西洋文明の二大源流であるへブル思想とヘレニズムが混ざり合う土地であったガリラヤ地方にイエス・キリストが誕生する。イエス・キリストによりユダヤ教徒とアリストテレスの思想が統一され、今日も西洋思想の根幹をなしている。

イエスとその弟子の生活は、律法に沿ったものであったが、パリサイ派などの考えを、律法の根底にある生命の配慮や知恵、神への信頼が見過ごされている、形式主義に陥っていると考え対立した。

イエスが旧約聖書の律法をどう理解したのか。十戒をエレミア書の新しい契約という次元で表現しなおしている。十戒を精神の律法にまで高め純化し、一層律法の実現を困難にさせた。たとえば、第六戒の「あなたは殺してはならない」という戒律について、今までは肉体的な殺害をさしていたが、イエスの教えは、精神のレベルで考えた。そのため殺したいと考えるだけでも罪にあたり、兄弟に対して怒りの感情を抱いたり、ののしることまでも、精神的に押し殺すことであると解釈しなおしている。

罪を精神まで高めることは、それを守ろうとする意志を持つ人々に対して律法違反を意識させていく。イエスは神の律法違反、離反によって、罪を明らかにすることへと導いていったが、それは自己の無力さと、人間は生まれながらにして罪を背負う「原罪」を自覚させ、信仰によってのみ義とされる、神の義はキリストにおいて現れ、これを受け入れる信仰によって人は救われるというパウロの考えにたどり着き、それはキリストへ自己へのすべてをゆだねようとする絶対的信頼へと導く。

モーセをはじめとするへブルの預言者たちは、神の声を民に代弁する存在であったが、イエスはそれまでの預言者たちとは違い、「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。(ヨハネ1:18」と新約聖書で書かれているように、彼は啓示の成就として世に現れた神の子であった点に大きな違いがある。

神の子イエスは人間が精神の律法を人間の力だけでは成就することができず、神に対し罪を起こさざるを得ないことを知らせるため死をもってしらしめたが、キリストの十字架上での死は、世界中すべてのものに死があるという事実を認め、「神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。(ローマ3:25-26)」と新約聖書にあるように、イエスの死において、死と同時に罪の解決がなされたことをさししめすものであった。

人類に変わってその罪を十字架上の死をもってキリストが代わりに贖った、そして、そのことにより人間は罪と死から解放され、永遠の命を得たというのが、十字架上の死の解釈である。神の子の肉の死によって、神による人間への愛をしめしたというのが、キリスト教の出発点である。

 

《愛の倫理》

キリストが説いた倫理の中心は、利己的自我をすべて捨て去る「愛の倫理」であった。神への愛を完全に成就するキリストは、自我のない、無私の人であり、それゆえ隣人に対しても神に向けたと同じ愛を隣人向けることができた。多民族を滅ぼすように啓示を下していた、民族主義的ヤハウェの導きとは対照的である。

イエスの隣人愛は生命をささげた行為と復活のうちに示されている。神の愛と隣人愛は一つの愛において密接に結び付く。ユダヤ教徒とキリスト教における倫理は、愛の倫理において一つとなり、完成を見た。

 

《へブル人、キリスト者の倫理について 結》

へブル人は超越的な神を受け入れ、神の民として、人間の行動やその理由づけを批判し続ける。へブル思想における倫理の出発点は、神を受け入れるかという契約の概念であった。へブル人は、モーセによる出エジプトからダヴィデによる王国まで、国というものをもたなかったが、民族として団結できたのは、神への信仰心による一体感であった。
律法を守ることで神を中心とした生活基盤を保つことを意識していたへブル人の倫理は、十戒を精神の段階まで高め、死をもって愛の倫理をとくキリスト教の考えの根底をなしている。

へブル思想では、神は神の霊として人や物の中にとどまり、また、そこから去っていくという考えで、身体の中には入らないが(少数の預言者のみ中に入る)、神は民とともにいるという考えをもっている。

対してキリスト教ではすべての信仰者のうちに霊が宿っていると考えられるようになった。神の霊は信仰者すべてのうちに内在し父なる神母なる神の霊、キリスト神のペルソナの三者が一体となり神と表すという三位一体の考えは、ユダヤ教的にはキリストという神をたてて偶像崇拝に陥っていると認めていないが、この考えは西欧思想における個人主義のもととなっている。

 

 


《参考文献》

・小塩力聖書入門 (岩波新書)

・アンジェ=シュラキ『ユダヤ思想 (文庫クセジュ 400)』渡辺義愛訳

 

モーセとか出てくると、トルコのトプカプ宮殿を思い出します。

トプカプ宮殿には厳かな空気が流れる部屋があって、そこには『モーセの杖』とか『ヨセフのターバン』とかが展示されていたのです。

にわかに信じがたかったんだけど、コーラン読む人が入り口にいて、

ムハンマドのひげとかムハンマドの歯とかも展示されていました、

凄かった。。。。。

トプカプ行ったときの記事(ヤプログ)→ギリシアトルコ旅2011-12 トプカプ宮殿③オスマン帝国が持っていた聖遺物の数々

 

 

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